大後悔時代

大好きなアイドルのこと、日常の変だなと思ったことについてぼちぼちと。

キンプリはいいぞ。――応援上映という企画について考えたこと――

キンプリはいいぞ。
この一言が添えられた感想レポのあまりの意味のわからなさはTwitterを俄かに騒がせた。
腹筋シックスパックでエクスカリバーを受け止める。尻から蜂蜜。電車でハリウッドに行って星座になる。
そんな意味不明なレポを見て、キンプリ気になる!と観に行った人が次々と感想レポをアップするが、どれも同じような訳のわからなさで、やっぱり意味がわからない。


一体これはどんな映画なんだ。

とある土曜日、ほとんど野次馬根性で、友達と上映スケジュールを調べた。
最もアクセスの良い映画館である新宿バルト9のサイトを見ると、なんと通常上映と応援上映の二種類があり、しかもどちらも真夜中に上映しているではないか。これを観に行ったら確実に終電を逃す。
それなのに座席予約ページは座席の半分が埋まっていて、異様な雰囲気を放っていた。
さらに調べてみるとオールナイト上映なるものもある。真夜中に映画館に入り、ちょうど電車が動き出す頃まで何かを上演してくれるらしい(※当時はそのページに詳しい紹介がなかったので知り得なかったが、後から調べてみたらプリリズのオバレ登場シーンダイジェストとキンプリを一挙放映してくれるとのこと)。しかもこちらは既に満席だった。
仕方なく私たちは平日よりも早起きをして、遠路遥々Tジョイ大泉に足を運んだ。

結論から言えば、Tジョイ大泉での鑑賞は、面白かった。

意味不明なレポ漫画に描かれていた事象は全てその通りに起こった。そして突如始まるキャラクターの選挙演説、破天荒なプリズムジャンプの演出、無駄に長い料理の名前。

前知識も何もない私の処理能力はストーリーの展開の速さについていくことができず、ただ「世界が輝いて見える」という名台詞は実感しながら、友達と断片的な感想を言い合いつつ西武池袋線に揺られて帰宅した。

突っ込みどころも、感動ポイントも多くあった。私は元々キンプリと言えばMr.King VS Mr.Princeを連想するジャニヲタでもあるので、Over the Rainbowの一連のストーリーに胸を打たれた。アイドルを夢見て幼いみぎりより努力を重ね、生命のためなら何でもしてしまった茶髪のお兄さんと、彼に傷つけられたけれど赦して共に歩むことを決めた黒髪のお兄さん。この二人の別れのシーンはちょっと泣いた。星座になった瞬間に涙引っ込んじゃったけれど。

 

冒頭のライブでサイリウムを振りたい気持ちにはなった。ただ、正直に言ってこの当時は「そこまで皆が嵌る意味がわからない」と思っていた。

キンプリの楽しみ方はベイブレードイナズマイレブン遊戯王といった男児向けホビーアニメやテニスの王子様に見られる「シリアスな笑い」、この一点にしかないと感じた。それならばストーリーやキャラクターにこれといった目新しさもなし、ライブシーンのCGは派手ですごいがそれくらいか。

この私の考えは間違っていると今なら断言できる。通常上映だけを見て、キンプリの魅力と熱狂の訳がわかるはずがなかったのだ。

 

私の感想とは裏腹に、世間ではどんどんキンプリが盛り上がっていた。3月9日には興行収入が2.5億円を突破、さらにその後1週間でその数字は3億に積み上がり、公開100日目の4月18日の発表時には5億を達成。そして今日に至るまでに異例のロングランを記録している。

Twitterのフォロワーも次々とキンプリに嵌っていき、応援上映に十数回、何十回と足を運ぶようになっている人も何人もいる。

一応観に行ったのにこの熱狂に乗れない自分が悔しかったが、前知識がないまま挑んでしまったせいだろうか、と何となく諦めていた一方で、彼女たちの熱狂を共有するにはやはり応援上映に行かなければいけないのでは、という焦燥感もあった。

たまたま別の映画を観に、新宿バルト9に足を運んだ日のことだった。上映スケジュールを見れば、私が見たい映画のすぐ後にキンプリの応援上映があるではないか。上演終了も終電より早い。
しかも知り合いでキンプリにど嵌りしている方が、ちょうどその回に席を取っているという。これはまたとない機会だ、と覚悟を決めた私は、その方とご一緒させて頂き、キンプリ応援上映の初陣を飾った。

応援上映は通常上映よりもずっと楽しかった。私はくすくす笑いがずっととまらなかった。

その時にとってもらった席は最前列のど真ん中で、他の人たちの応援がぐわっと後ろから襲ってくる感覚にぞくぞくした。皆キャラクターの甘い言葉に黄色い声をあげ、お風呂のシーンではカメラワークに文句を言い、キャラクターの真似事をして、ひっきりなしに声を出していた。

得も言われぬ一体感。爽快感。カタルシス。これが応援上映か、と高揚した。応援のタイミングもわからず黙りこくっていた私は、自分もいつかはこの空間の一部になりたいと強く思った。

同行してくださった方に、見た方がもっと面白くなると言われて、その日のうちに原作アニメであるプリティーリズム レインボーライブを見始めた。
こちらも実に面白かった。とても造りが丁寧なストーリーで、何度も泣かされた。ところどころに映っていた女の子のキャラクターの魅力を知り、キャラクター同士の関係に対する理解が深まったし、作中に登場する曲やプリズムジャンプの歴史を知った。

 

そして後日、満を持して私は二度目の応援上映に参加した。GWの池袋、人気キャラクターの香賀美タイガと十文字カケルのコメンタリー付の触れ込みで、劇場は満員だった。

結果は言うまでもなく、とってもとっても楽しかった。作中登場するキャラクターの名前を全て把握し、関係性を知った上で見たのもあったが、何より声援に興奮した。

平日夜のバルト9に比べて、休日夕方のヒューマックス池袋の声援の大きさは圧巻だった。タイガやカケルのファンの人たちが、二人の決して多くはない出番を今か今かを待ちかまえ、出てきた瞬間に歓声をあげて応援する。

私はもっとキンプリが好きになった。

それから程なくして、劇場版『遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENTIONS』 で応援上映実施が決定したとのニュースが入った。

私はこのニュースを聞いて、この企画が失敗に終わるのではないかと心配した。少なくとも私がキンプリの応援上映に感じた楽しさが、遊戯王では感じることができないと感じたからだ。ではその楽しさとは一体何なのか、改めて考えてみた。

 

確かに劇場版遊戯王にも、声をあげるポイントは多く存在した。海馬コーポレーションの技術力、海馬瀬人のアテムに対する執着心、インチキカード効果、その他諸々突っ込みポイントは散りばめられているし、デュエルシーンでは遊戯や海馬を応援したくなるだろう。

しかしキンプリは違うのだ。キンプリで声をあげるべきなのは、キャラクターが性的なオブジェクトとして提出されたその瞬間だ。少なくとも私はそう思った。

観客はそのキャラクターに「可愛い!」「美しい!」と声をあげる。裸体を晒すシーンがあれば口笛を吹き、股間を隠す物体にブーイングをする。また別のシーンでは男性のキャラクターを見て頬を赤らめる男性キャラクターに「ヒュー!」と口笛を吹き、「その気持ちは恋だよ!」と教えてあげることができる。

つまり遊戯王で例えるならば、藍神くんが撮影されるシーンでそのデータを要求したり、海馬のアテムに対する思いを「恋だよ!」と言ったり、杏子に乳揺れやパンチラを期待する言葉を投げつけたりするのと同等になるだろう。やはり、何かが違う気がする。杏子に対しての応援はともかくとして、他の応援は「腐女子が暴れてた」と叩かれてしまうのではないか、という恐怖が拭えない。

その点キンプリには、その恐怖心がない。あの場では皆一条シンの股間を見たがってて、一条シンの恋路を応援している。そう思えるからこそ楽しいのだと、合点がいった。

 

ありとあらゆるエンタメにおいて、女性消費者は迫害されながら生きている。日本の漫画雑誌の最大手『週間少年ジャンプ』の看板漫画『ワンピース』におけるミソジニー表現を挙げるまでもなく、「最近の女性読者のせいでジャンプの質が下がった」と男性読者がTwitterで発言して紛糾した問題は記憶に新しい。
多く日本のエンタメにおいて「女子供はお呼びでない」とされがちだ。女は恋愛やファッションなど軽薄なものにしか興味がないから、ストーリーの妙を理解できない。少女漫画は少年漫画に比べて質が低いとみなされがちだ。

また、少年漫画が好きで男性キャラクターが好きな女性であっても、ただイケメンが好きなだけなんだろうと勘ぐられたり、父親・彼氏の影響だと勝手に納得されたりもする。

そうした感覚が渦巻く中で、エンタメを消費しようとする女性は常に自虐的であることを求められる。理解の浅い私なんかが好きでごめんなさい。ミーハーでごめんなさい。女子力を磨かずに漫画アニメなんかが好きでごめんなさい。

ボーイズラブティーンズラブなど、そもそもが女性向けの市場であっても、そうした罪悪感はついて回る。BL好きな女性に対する「腐女子」という呼称も、その腐女子自身が「ボーイズラブなんかが好きな頭のおかしい私たち」と自嘲するために生まれたと聞く。

ニコニコ動画にアップロードされる女性オタク向けの動画にすら「腐コメ禁止」というローカルルールが存在する。「腐コメ」の定義は曖昧な部分もあれど、大義は「男性同士のカップリングを前提とした発言」であり、「その男性キャラに対する性的な発言」を含むこともある。

腐女子ではない人間を不快にさせないため」に規定されているルールのため、もし男性キャラを「可愛い」と評価することを不快だと思う人が多ければ、その一言もNGワードになる。実際、私がよくニコニコ動画を見ていた5~6年前は、「可愛い」も腐コメに分類されて言わない方がよいという風潮だったように記憶している。私のように生粋の腐女子がルールに従うには「発言をしないこと」が最善だと判断し、そういう動画でコメントをつけないようにしていた。

 

また女性オタクは何かにつけて容姿をバッシングされることが多い。時たまRTで流れてくる「腐女子のファッションを分類してみた」系のイラストは、一部の腐女子の服装や美容に対する意識の低さを自嘲したり馬鹿にしたりする意図が大抵含まれている。

緑陽社の社長がイベントに参加していた女性の服装をジャッジして炎上した事件も記憶に新しい。

 

このように、いつでも女性のオタクは身の振り方と発言に気をつけて、こんなものが好きでごめんなさいと申し訳なさそうに身を縮めていなければならなかった。

でもキンプリの応援上映は違う。

胸キュン台詞を言うキャラクターの相手役を演じることができる。
一条シンが自転車で転んで大股開きで倒れているのをカメラが足側から映すのに「ありがとうございます!」と叫べる。
一条シンが風呂場で会った美貌の二人に対して「何なのこれ……!」とうろたえる台詞の後に「恋だよー!」と叫べる。
皆が皆画面を注視しているから、皆が皆叫ぶから、どんな人が言ったかなんて誰も気にしない。
たまに起こる笑い声だって、嘲笑じゃない。秀逸なツッコミに笑う、明るい声だ。
乙女好きでも、腐女子でも、不細工でも、太ってても、何だっていいんだ。あの場所では自由に発言することができる。
それがキンプリの応援上映だ。

 

興行収入5億円突破という一大ムーブメントが誕生した要因は、応援上映という映画共有システムそれ自体にとどまらず、『KING OF PRIZM』という映画が「男性キャラクターのみを性的オブジェクトとして提出する」内容だったからだと推測する。キンプリと同様のシステムに当て嵌まる映画は、きっとごく一部に限られるだろう。遊戯王はそこには含まれないと、私は思う。

 

つくづく『KING OF PRIZM』という映画と応援上映という企画は、女性のリビドーを思う存分吐き出すことができる夢のような空間の提供であり、現代日本における女性向けエンターテインメントの理想郷(パラダァイス)であると言えよう。

あと10回くらい行きたいものである。

採用サイト先輩社員インタビューに答えて感じた、企業が求める「女性らしさ」

 

3月1日から16年卒の就職活動が幕を開けた。

12月から開始された私達の頃よりも短期決戦になるため、学生側にも企業側にもより効率的な戦略が必要とされる、らしい。手当たり次第にマイナビリクナビでエントリーを繰り返し、膨大な返信メールを裁き、変わり映えのしない採用ホームページを熟読し、夏に行ったインターンのエピソードを織り込みながらエントリーシートを埋め、締切までに返送する。正しく就活は情報戦である。氾濫する情報から自分の欲しい情報や有用な情報を取捨選択し、うまく利用できるかどうかに成功の鍵があると言っても過言ではない。

シューカツと聞くだけで怖気が走り、街で真っ黒いスーツに真っ黒の髪の毛をきっちりまとめた白シャツの女の子を見かける度に気分が落ち込む程度には就活には良い思い出がないので、今もあまり就活事情には深入りしたくない私だが、現在就活戦争に参戦している若い学生、特に総合職採用を主に考えている女子学生の皆様にこれだけは伝えておかねばならないと思うことがある。

「採用サイトの先輩社員インタビューはメディアリテラシーを総動員して話半分で読め」、ということである。特に無駄に歴史が長くて体制の古そうな企業は要注意だ。

 

 

1月某日、私は人事部に「新卒採用サイト」に掲載する「先輩社員インタビュー」に協力してもらえないかと白羽の矢を当てられてしまった。女性初の総合職だから、という理由らしい。しかも今年度はコンサルタントを雇い、採用サイトのデザインを一新して就活生にアピールするのだということだった。それならば致し方ない、男女共同参画社会という理想を信じて入社してくる可哀想な後輩を一人でも減らすために協力するか、と重い腰をあげた。

まずはWordで送られてきた質問に、文章で回答するところから始まった。内容は「現在携わっている業務内容は?」や「会社の魅力は?」、「一日のタイムスケジュールは?」など、よくある質問ばかりであった。こうして私達が書いた原稿をコンサルタントが手直しして、サイトに掲載するらしい。女子学生にとって有用な内容になるよう少しは意識したつもりだが、なかなかに骨が折れた。

中でも「会社の魅力は?」が一番難しかった。ジェンダー観も体制も古臭いし、上司にはセクハラ野郎がたくさんいるし、魅力らしい魅力と言えば日生劇場まで20分の立地条件くらいではないか、と思ったがそれはあまりにも素っ気ない。「優しい人が多いことです。入社後の教育係には、女性だからと気を遣って女性の事務職の方をつけて頂きました」と書き足した。全き嫌味のつもりだった。総合職の教育係に事務職をつけるなんておかしい、と私は入社直後から思っている。同じ部の総合職の男性には総合職の男性が教育係としてついているし、総合職男性の教育係に事務職女性がつくのはおかしいではないか、と。だから人事部からはNGが出るだろうと思ったし、同時に検閲を通ってこれを見た女子学生が「この企業おかしいな」と思って踵を返してくれたらいいとも思った。

 

原稿を提出して暫く後、コンサルタントの男性二名が来社して原稿に関しての対面インタビューを受けた。当たり障りのない業務内容についての質問を一通り終えた後、彼等は本題に入ろうと言わんばかりに斬り込んできた。

「さて、あなたは女性初の総合職ということですが、大変でしょう」

「ええまあ、そうですね。会社としてもどう扱っていいかわからないところもあるらしくて」

このインタビューには人事部も同席していたので、教育係の問題については具体的に言及することができなかった。そうでしょうね、と同調する柔和な笑みを浮かべたインタビュアーは続けた。

「この男性社会の中で、女性らしさをどう活かしていこうと考えていますか?」

きたよこの質問、と思わず苦笑いが漏れた。

女性らしさを、活かす。その発想は私の中でとうに死んでいた。少なくとも対等に渡り合うことが求められるビジネスシーンにおいては、男性社会の中で女性らしさなどクソの役にも立たない。まず外見が女性だとわかったが最後、人間扱いしてもらえないことが多い、と何となく実感していた。

ならば対等に渡り合おうとするのでなく、男性ばかりの映画撮影現場でわざとヒールを履きスカートを纏いキャラ物のボールペンを使った蜷川実花のように、女性らしさを武器にして違うアプローチを仕掛ける方法も、勿論あるのだろう。ただ今の私にはその戦い方で武器となる可愛らしさや細やかさに欠ける自信が大いにある。男にもなりきれず女にもなりきれない、中途半端な存在だ、というのが今の自己評価である。

そもそも彼等の言う「女性らしさ」とは何なのか。にこにこ愛想よく振る舞うことなのか、細かい気遣いを見せることなのか。勿論そうしている方が周りに気に入られるだろうが、それは性別を問わない話だろう。わざわざ女性の特権・得意技みたいに取り立てて言うことでもない。だからこの手の質問には模範解答なんかしてやるもんか、という妙な反骨精神が働いた。

「私は愛想もないし気も利かないし細かい数字もよく間違えるがさつな人間だし、活かせる女性らしさもないんですよね」

自虐的に笑って答えたが、インタビュアーの手は動かなかった。これは欲しい答えではないらしい。

「でも、愛想がないなんてことはないですよね、笑った顔と、声も、ころころした感じでかわいいですよね」

こう返してきた。一生懸命私のことを褒めてくれたのが少し嬉しくて、ちょっといじめるのが可哀想になった。私もちょろいものである。

「確かに現場にお邪魔した時に、そこの方に『現場には女性がいないから、電話した時に女性の声だと安心する』とは言われたことがあります。だから電話対応の時には思いきり声を高くしてかわいこぶるようにはしています」

こう言うと、インタビュアーの手はさらさらと動いた。その時に女を観葉植物や愛玩動物みたいに思ってんじゃねーよ、なんてちょっと嫌な感情を抱いたのは内緒にしておこう。

社内でも取引先でも今回取材にきた彼等も、会う男性皆誰もが大変でしょう、なんて同情めいたことは言ってくれるが、実際のところ理想的な女性像を押し付けてきてこっちを大変な目に合わせてるのはそっちなんだぞ、と思いもした。

女性初の総合職にきらきらした箔をつけられない、こんな黒髪眼鏡のもさい不細工でごめんなさいね、と心の中で舌を出しつつも、「本日はありがとうございました」とお辞儀をして、私は離席した。

 

それから一週間とちょっと経って、先方から原稿が返ってきた。チェックを入れて問題なければそのまま掲載されるとのことだった。

さていざ目を通して見て、私は愕然とした。私の素っ気ない原稿が、まるで女性誌みたいにきらきらしている。当時の呟きを引用する。

これは内容に加えてライターの文章力の低さに愕然とした。

この「『あ、安心感を感じてもらってるな』と感じます」というエロ漫画に登場する処女もびっくりの感じすぎている一文は、私が書いたものではなく、電話対応時に女性らしさがプラスに働くエピソードとして先方が挿入してきたものである。女性の声を聞いた彼等が感じている「安心」とは、つまり「こいつになら強く出ても大丈夫」だとか「こいつにならあんまり丁寧な対応しなくても大丈夫」だとか、より貶められる相手に当たったことで肩の力を抜いていられるから生じるものなのでは、と私は考えている。ただ舐められているだけなのに、それが良いこととして書かれているのが腹立たしかった。

加えてよく社内の校閲を通過したなと思える重ね言葉である。文筆業を志していた身としては、これを書いた人間がこの文章でお金をもらえるのはかなり羨ましく感じた。

さらにここまでくると被害妄想的だと自分でも思うが、「『あ、~な』と感じます」という文体は私が女だからより柔らかさを演出するために採用されているように思えた。ちなみに私の元原稿では一度もこういう書き方をしていない。きっと私が男だったら先方もせいぜい「安心感を感じてもらっていると感じます」くらいに書いていただろう。実際のところ、他の男性社員のインタビューにはこの文体は登場していなかった。

上記のように、タイムスケジュールの元原稿の書式はこんな感じだった。

8:45 出社

9:00 受注入力

11:00 見積り

12:15 昼食

13:00 外出

15:00 帰社、見積り

16:00 売上

18:00 退社

それがどうしたことだろう、それぞれに「細かいところまでしっかりチェックします」だの「今日は女性同士で外でランチ」だの「お客様と趣味の話で盛り上がりました」だの「大好きな観劇へ。平日のオフが充実していると明日も頑張れる気がします」だの、女性誌の日替わりコーデのコピーみたいなエピソードがくっついている。しかもこのエピソードは対面取材の時にだって話していない、先方が勝手にイメージした虚偽の内容だ。

特に腹立たしかったのは昼食のエピソードだ。弊社の周りには気軽に入れるレストランがない。その上昼休みも45分しかない。そうそうお財布を持ってランチに出かけることなどできない。実際に私は入社以来そんなことをした覚えはない。大抵の社員は持参するか、コンビニや弁当屋で調達して社内で食べている。

次に鼻についたのは「退社後」に付記された「アフターファイブが充実しているOL像」の押しつけエピソードだ。実のところ終業後観劇しに行ったことは二回程あるからまるきり虚偽だとは言えない。だが「平日のオフが充実してると~」とは一言も言っていないし、こんな文章他の男性社員の退社後エピソードには書いていないしで、また女だからこんな書き方をされたんだ、といっそ侮辱されたような気分になった。

実情と違いすぎる、どこぞの理想のOLイメージを切って張り付けられた感じが、とにかく嫌だった。気が利いて、友達関係も良好で、衣食住が充実していて、趣味に打ち込んで、そんなきらきらしたキャリアウーマンの姿が描かれていたが、それは「私」ではない。この男性社会の中で女性の身の私が考えていること、感じている本当のことは、全く求められてないのだ、と感じ、これが報道か、と失望した。

さらには「当社の魅力」として「教育係に女性事務職をつけたこと」はしっかり生き残っていた。気分は(何故お前がここに……死んだと思っていたが、そうか……)と低く呟くバトル漫画のキャラクターである。

 

私は上記の問題点全てを人事部にぶつけた。先方のライターの嘘八百についてはより真実に近い代替エピソードを提案してもらうことで話がついたが、教育係の選定については「これは弊社の優しさだから」という判断でそのまま掲載されることになった。こうなってしまったからには、一人でも多くの女子学生が私の示す警告に気付いてくれることを祈るばかりである。

 

こうして弊社の採用サイトは完成し、現在絶賛公開中である。

ちなみに私はジェンダー的な押しつけがましさに少々過敏なまでに反発しまくっていたので大袈裟にとられるかもしれないが、最終原稿チェックの時点で人事部に文句をつけていた男性社員もいたので、虚偽の情報が盛られるのは性別に限らないことのようだ。その点は就活生全般に気を付けて頂きたい。妙にきらきらしたスケジュールは大体嘘だと言っていいだろう。きっと。弊社だけがそうだと信じたくはない。

 

 

繰り返すが、就活生に言いたいのは「採用サイトの先輩社員インタビューはメディアリテラシーを総動員して話半分で読め」ということ。特に女子学生。こうやって下手な採用担当者の手が入っていると、男性の変な理想を押し付けられたきらきらした女性像をつきつけられます。

こうした情報戦線に打ち勝ち、自分の満足が行く業務内容かつ、少しでも社内環境が整った企業に入社できるよう、陰ながら応援しています。

 

 

 

乙女ゲームの棚の前にいたら変な男の人に絡まれた話

渋谷TUTAYAの地下二階中古ゲームコーナーでのこと。

 

私はPSP戦国BASARAがプレイできるソフトを探していた。

目当てのものはすぐに見つかったが、「バトルヒーローズ」と「クロニクルヒーローズ」とふたつ種類があり、どこがどう違うのか、初心者はこっちから始めるべきなのか、その情報を探しに、数歩横の乙女ゲームコーナーで足を止めスマホに目を落としていると「すみません」と声をかけられた。

 

しまった邪魔だったか、と慌てて顔をあげたらそこには男の人が二人いた。今となっては顔を思い出すこともできないくらい、何の印象にも残らない、至って「ふつう」の人だったように思う。

そのうちの一人、「すみません」と発話した方の人は乙女ゲームのパッケージに手を伸ばそうとしていた。男性の乙女ゲームプレイヤーなのか、と思ったのも束の間、その人は私に「こういうゲームやるんですか?」と訊いてきた。

どうもPSP版BASARAはシステムもゲーム性もクソで、据え置きのをやるべきらしい、という情報を掴んで、さてどうしようか、と考えていたから、一瞬、頭がついていかなかった。

乙女ゲームをやるかどうか。その答えは、是だ。しかし私はそれを言うのを躊躇った。

何故わざわざそのようなことをこの初対面の男の人が訊いてくるのか。ナンパの類か、それとも乙ゲープレイヤーを馬鹿にしようとしているのか。私は咄嗟に後者だと思った。向こうが二人で、こちらがひとりだったからだ。前者にせよ、関わりたい手合いではない。戸惑いの後に襲ってきたのは恐怖だった。

 

「俺こういうゲームやったことなくて。面白いんですかね?」

彼はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、にやにやと笑いながら薄桜鬼のパッケージを摘まんで裏返し、棚に戻した。

「面白いんじゃないんですかね、(薄桜鬼は)やったことないですけど」

主語をぼかして自己保身に走ってしまうのが情けなくて仕方なかった。乙女ゲームは面白い。そうはっきり言えたらよかったのだが、向こうの真意がわからない恐怖と、ひどく傷つけられるのではないかという恐怖で、当たり障りのない回答しかできなかった。彼は別のパッケージを摘まんでは裏返し、また棚に戻している。

「ふーん。どんな感じなんですかね、こういうのって。楽しいんですかね」

そういう彼の顔は、楽しいと思うなんておかしい、と言いたげににやにやしていた、ように思う。逆に私が、何故乙女ゲームを楽しいと思わないのか、インタビューしたいくらいだった。ただそれを実行するにはあまりにも怖かったので、男性にもわかりやすく乙女ゲームの楽しさを伝えるにはどうしたらいいか、ぱっと思いついた答えを口にする他なかった。

「ギャルゲーの、男女逆転バージョンだと思いますよ」

「へー」

こいつは乙女ゲーマーじゃなかった、当てが外れたとでも思ったのだろうか、彼のインタビューは突如として終わり、二人はさっさと私から離れていった。

よかった、特に何もされずに終わった、とほっと息を吐いた私の心臓はばくばくしていた。めちゃくちゃに怖かった。

 

その場にいるのも落ち着かなかったので、売り場をぐるりと一周して、結局戦国BASARAは安価だった「バトルヒーローズ」の方を買うことに決めて、会計をして店を出た。冷静を取り戻した頭で先ほどの出来事を反芻し、これを一言で説明するなら「痴漢にあった」だと思った。

 

彼等は目についた乙女ゲームをやりそうな女性ヲタクに片っ端から声をかけているのだろうか。一体どのような気持ちでそんなことをしているのだろうか。ギャルゲー好きな男性ヲタクにも同じようなことをしているのだろうか。

そうして考えれば考える程、インターネットに氾濫している「腐女子ならば叩いてよし」メンタルで彼等は行動していたように思えた。勿論この場合の「腐女子」はヲタクの女性全般を指示する誤用だが。

軽薄な恋愛ストーリーとイケメンに萌えているスイーツ脳のヲタク女を馬鹿にしてやろう、という思いがあったのだろうと私は推測する。そしてそれは肉体的強者であることを笠に着た何とも卑劣な行為だと断言する。きっと彼等は男性ヲタクには同じように声をかけないだろう。どうして自分が乙女ゲームをやる女性を嫌悪するのか、考えたこともないだろう。

 

腐女子だから、ヲタクの女だから、叩いていいなんてことは有り得ない。だからこそ彼等に屈服するような姿勢を取ってしまった自分が悔しい。もっと毅然とした態度をとれなかった自分を反省している。

 

乙女ゲームは面白い。色んな攻略対象がいる。彼等に地道に接触して、 地道に話を聞き出して、地道に好感度を上げてイベントを起こして、過去のトラウマだとか今抱えている悩みだとかを聞いて、まるごと受け入れてあげて、懐かせていく。そうした緻密な作業が面白い。さらに世界観や攻略対象の人格・トラウマについて考察していくのも面白い。

だからこそ、個人的には人間関係の構築の過程やストーリーが丁寧に作られている作品が好きだ。中でも「遙かなる時空の中で」シリーズはかなりおすすめである。初心者の方には3をおすすめする。

 

 

なあんて、彼等にプレゼンできたらよかったのだが。

その機会は次にとっておくが、その次が永遠に訪れないことを祈るばかりである。

 

男遊郭

男遊郭

 

 ちなみに彼が二回目に見ていた乙女ゲームがこちら。

男性ばかりが生まれる世界で、男性が遊郭で働いていて、ヒロインはその客として接近するという設定らしい。今最も気になっている乙女ゲームのタイトルである。