大後悔時代

大好きなアイドルのこと、日常の変だなと思ったことについてぼちぼちと。

キンプリはいいぞ。――応援上映という企画について考えたこと――

キンプリはいいぞ。
この一言が添えられた感想レポのあまりの意味のわからなさはTwitterを俄かに騒がせた。
腹筋シックスパックでエクスカリバーを受け止める。尻から蜂蜜。電車でハリウッドに行って星座になる。
そんな意味不明なレポを見て、キンプリ気になる!と観に行った人が次々と感想レポをアップするが、どれも同じような訳のわからなさで、やっぱり意味がわからない。


一体これはどんな映画なんだ。

とある土曜日、ほとんど野次馬根性で、友達と上映スケジュールを調べた。
最もアクセスの良い映画館である新宿バルト9のサイトを見ると、なんと通常上映と応援上映の二種類があり、しかもどちらも真夜中に上映しているではないか。これを観に行ったら確実に終電を逃す。
それなのに座席予約ページは座席の半分が埋まっていて、異様な雰囲気を放っていた。
さらに調べてみるとオールナイト上映なるものもある。真夜中に映画館に入り、ちょうど電車が動き出す頃まで何かを上演してくれるらしい(※当時はそのページに詳しい紹介がなかったので知り得なかったが、後から調べてみたらプリリズのオバレ登場シーンダイジェストとキンプリを一挙放映してくれるとのこと)。しかもこちらは既に満席だった。
仕方なく私たちは平日よりも早起きをして、遠路遥々Tジョイ大泉に足を運んだ。

結論から言えば、Tジョイ大泉での鑑賞は、面白かった。

意味不明なレポ漫画に描かれていた事象は全てその通りに起こった。そして突如始まるキャラクターの選挙演説、破天荒なプリズムジャンプの演出、無駄に長い料理の名前。

前知識も何もない私の処理能力はストーリーの展開の速さについていくことができず、ただ「世界が輝いて見える」という名台詞は実感しながら、友達と断片的な感想を言い合いつつ西武池袋線に揺られて帰宅した。

突っ込みどころも、感動ポイントも多くあった。私は元々キンプリと言えばMr.King VS Mr.Princeを連想するジャニヲタでもあるので、Over the Rainbowの一連のストーリーに胸を打たれた。アイドルを夢見て幼いみぎりより努力を重ね、生命のためなら何でもしてしまった茶髪のお兄さんと、彼に傷つけられたけれど赦して共に歩むことを決めた黒髪のお兄さん。この二人の別れのシーンはちょっと泣いた。星座になった瞬間に涙引っ込んじゃったけれど。

 

冒頭のライブでサイリウムを振りたい気持ちにはなった。ただ、正直に言ってこの当時は「そこまで皆が嵌る意味がわからない」と思っていた。

キンプリの楽しみ方はベイブレードイナズマイレブン遊戯王といった男児向けホビーアニメやテニスの王子様に見られる「シリアスな笑い」、この一点にしかないと感じた。それならばストーリーやキャラクターにこれといった目新しさもなし、ライブシーンのCGは派手ですごいがそれくらいか。

この私の考えは間違っていると今なら断言できる。通常上映だけを見て、キンプリの魅力と熱狂の訳がわかるはずがなかったのだ。

 

私の感想とは裏腹に、世間ではどんどんキンプリが盛り上がっていた。3月9日には興行収入が2.5億円を突破、さらにその後1週間でその数字は3億に積み上がり、公開100日目の4月18日の発表時には5億を達成。そして今日に至るまでに異例のロングランを記録している。

Twitterのフォロワーも次々とキンプリに嵌っていき、応援上映に十数回、何十回と足を運ぶようになっている人も何人もいる。

一応観に行ったのにこの熱狂に乗れない自分が悔しかったが、前知識がないまま挑んでしまったせいだろうか、と何となく諦めていた一方で、彼女たちの熱狂を共有するにはやはり応援上映に行かなければいけないのでは、という焦燥感もあった。

たまたま別の映画を観に、新宿バルト9に足を運んだ日のことだった。上映スケジュールを見れば、私が見たい映画のすぐ後にキンプリの応援上映があるではないか。上演終了も終電より早い。
しかも知り合いでキンプリにど嵌りしている方が、ちょうどその回に席を取っているという。これはまたとない機会だ、と覚悟を決めた私は、その方とご一緒させて頂き、キンプリ応援上映の初陣を飾った。

応援上映は通常上映よりもずっと楽しかった。私はくすくす笑いがずっととまらなかった。

その時にとってもらった席は最前列のど真ん中で、他の人たちの応援がぐわっと後ろから襲ってくる感覚にぞくぞくした。皆キャラクターの甘い言葉に黄色い声をあげ、お風呂のシーンではカメラワークに文句を言い、キャラクターの真似事をして、ひっきりなしに声を出していた。

得も言われぬ一体感。爽快感。カタルシス。これが応援上映か、と高揚した。応援のタイミングもわからず黙りこくっていた私は、自分もいつかはこの空間の一部になりたいと強く思った。

同行してくださった方に、見た方がもっと面白くなると言われて、その日のうちに原作アニメであるプリティーリズム レインボーライブを見始めた。
こちらも実に面白かった。とても造りが丁寧なストーリーで、何度も泣かされた。ところどころに映っていた女の子のキャラクターの魅力を知り、キャラクター同士の関係に対する理解が深まったし、作中に登場する曲やプリズムジャンプの歴史を知った。

 

そして後日、満を持して私は二度目の応援上映に参加した。GWの池袋、人気キャラクターの香賀美タイガと十文字カケルのコメンタリー付の触れ込みで、劇場は満員だった。

結果は言うまでもなく、とってもとっても楽しかった。作中登場するキャラクターの名前を全て把握し、関係性を知った上で見たのもあったが、何より声援に興奮した。

平日夜のバルト9に比べて、休日夕方のヒューマックス池袋の声援の大きさは圧巻だった。タイガやカケルのファンの人たちが、二人の決して多くはない出番を今か今かを待ちかまえ、出てきた瞬間に歓声をあげて応援する。

私はもっとキンプリが好きになった。

それから程なくして、劇場版『遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENTIONS』 で応援上映実施が決定したとのニュースが入った。

私はこのニュースを聞いて、この企画が失敗に終わるのではないかと心配した。少なくとも私がキンプリの応援上映に感じた楽しさが、遊戯王では感じることができないと感じたからだ。ではその楽しさとは一体何なのか、改めて考えてみた。

 

確かに劇場版遊戯王にも、声をあげるポイントは多く存在した。海馬コーポレーションの技術力、海馬瀬人のアテムに対する執着心、インチキカード効果、その他諸々突っ込みポイントは散りばめられているし、デュエルシーンでは遊戯や海馬を応援したくなるだろう。

しかしキンプリは違うのだ。キンプリで声をあげるべきなのは、キャラクターが性的なオブジェクトとして提出されたその瞬間だ。少なくとも私はそう思った。

観客はそのキャラクターに「可愛い!」「美しい!」と声をあげる。裸体を晒すシーンがあれば口笛を吹き、股間を隠す物体にブーイングをする。また別のシーンでは男性のキャラクターを見て頬を赤らめる男性キャラクターに「ヒュー!」と口笛を吹き、「その気持ちは恋だよ!」と教えてあげることができる。

つまり遊戯王で例えるならば、藍神くんが撮影されるシーンでそのデータを要求したり、海馬のアテムに対する思いを「恋だよ!」と言ったり、杏子に乳揺れやパンチラを期待する言葉を投げつけたりするのと同等になるだろう。やはり、何かが違う気がする。杏子に対しての応援はともかくとして、他の応援は「腐女子が暴れてた」と叩かれてしまうのではないか、という恐怖が拭えない。

その点キンプリには、その恐怖心がない。あの場では皆一条シンの股間を見たがってて、一条シンの恋路を応援している。そう思えるからこそ楽しいのだと、合点がいった。

 

ありとあらゆるエンタメにおいて、女性消費者は迫害されながら生きている。日本の漫画雑誌の最大手『週間少年ジャンプ』の看板漫画『ワンピース』におけるミソジニー表現を挙げるまでもなく、「最近の女性読者のせいでジャンプの質が下がった」と男性読者がTwitterで発言して紛糾した問題は記憶に新しい。
多く日本のエンタメにおいて「女子供はお呼びでない」とされがちだ。女は恋愛やファッションなど軽薄なものにしか興味がないから、ストーリーの妙を理解できない。少女漫画は少年漫画に比べて質が低いとみなされがちだ。

また、少年漫画が好きで男性キャラクターが好きな女性であっても、ただイケメンが好きなだけなんだろうと勘ぐられたり、父親・彼氏の影響だと勝手に納得されたりもする。

そうした感覚が渦巻く中で、エンタメを消費しようとする女性は常に自虐的であることを求められる。理解の浅い私なんかが好きでごめんなさい。ミーハーでごめんなさい。女子力を磨かずに漫画アニメなんかが好きでごめんなさい。

ボーイズラブティーンズラブなど、そもそもが女性向けの市場であっても、そうした罪悪感はついて回る。BL好きな女性に対する「腐女子」という呼称も、その腐女子自身が「ボーイズラブなんかが好きな頭のおかしい私たち」と自嘲するために生まれたと聞く。

ニコニコ動画にアップロードされる女性オタク向けの動画にすら「腐コメ禁止」というローカルルールが存在する。「腐コメ」の定義は曖昧な部分もあれど、大義は「男性同士のカップリングを前提とした発言」であり、「その男性キャラに対する性的な発言」を含むこともある。

腐女子ではない人間を不快にさせないため」に規定されているルールのため、もし男性キャラを「可愛い」と評価することを不快だと思う人が多ければ、その一言もNGワードになる。実際、私がよくニコニコ動画を見ていた5~6年前は、「可愛い」も腐コメに分類されて言わない方がよいという風潮だったように記憶している。私のように生粋の腐女子がルールに従うには「発言をしないこと」が最善だと判断し、そういう動画でコメントをつけないようにしていた。

 

また女性オタクは何かにつけて容姿をバッシングされることが多い。時たまRTで流れてくる「腐女子のファッションを分類してみた」系のイラストは、一部の腐女子の服装や美容に対する意識の低さを自嘲したり馬鹿にしたりする意図が大抵含まれている。

緑陽社の社長がイベントに参加していた女性の服装をジャッジして炎上した事件も記憶に新しい。

 

このように、いつでも女性のオタクは身の振り方と発言に気をつけて、こんなものが好きでごめんなさいと申し訳なさそうに身を縮めていなければならなかった。

でもキンプリの応援上映は違う。

胸キュン台詞を言うキャラクターの相手役を演じることができる。
一条シンが自転車で転んで大股開きで倒れているのをカメラが足側から映すのに「ありがとうございます!」と叫べる。
一条シンが風呂場で会った美貌の二人に対して「何なのこれ……!」とうろたえる台詞の後に「恋だよー!」と叫べる。
皆が皆画面を注視しているから、皆が皆叫ぶから、どんな人が言ったかなんて誰も気にしない。
たまに起こる笑い声だって、嘲笑じゃない。秀逸なツッコミに笑う、明るい声だ。
乙女好きでも、腐女子でも、不細工でも、太ってても、何だっていいんだ。あの場所では自由に発言することができる。
それがキンプリの応援上映だ。

 

興行収入5億円突破という一大ムーブメントが誕生した要因は、応援上映という映画共有システムそれ自体にとどまらず、『KING OF PRIZM』という映画が「男性キャラクターのみを性的オブジェクトとして提出する」内容だったからだと推測する。キンプリと同様のシステムに当て嵌まる映画は、きっとごく一部に限られるだろう。遊戯王はそこには含まれないと、私は思う。

 

つくづく『KING OF PRIZM』という映画と応援上映という企画は、女性のリビドーを思う存分吐き出すことができる夢のような空間の提供であり、現代日本における女性向けエンターテインメントの理想郷(パラダァイス)であると言えよう。

あと10回くらい行きたいものである。